実感道徳研究会へようこそおいでくださいました。
こんにちは。会長の山中伸之です。
耳慣れない「実感道徳研究会」ですが、どのような経緯でできたのかを振り返っています。
お時間がありましたら、お目通しください。
1 担任道徳
2006年だったと思います。
授業名人野口芳宏先生のお宅に、有志の教員数名が集まりました。
野口先生の膨大な雑誌原稿の整理をしたのです。
驚くべきことに、野口先生は、雑誌に掲載されたご自分の文章を、ほとんど全て保管していらっしゃいました。
多くは、ご自分の文章部分のみを切り抜くという形です。
その量が、大きめのレジ袋に10個くらいあったでしょうか。
(記憶があいまいです)
私は途方に暮れました。
いったいどこから手を付ければいいのか…
とりあえず、1人1袋を担当し、種分けをすることになりました。
KJ法です。
そのときに、私が手にした袋に、道徳関係の原稿が入っていました。
その原稿を読みながら整理していったのですが、手にしたある記事の中に、私は「担任道徳」という言葉を発見しました。
「担任道徳」とは、野口先生がその頃提唱されていた道徳の授業です。
「担任(ならではの)道徳」という意味です。
あの先生が担任になったからこそ、この授業ができた。
そのような、担任の教育観、子ども観、授業観に深く依った道徳の授業ということです。
野口先生は、そういう道徳の授業がすっかり鳴りを潜めていることにがっかりされていました。
私は「担任道徳」という言葉に、大きな魅力を感じました。
原稿の整理は、その日だけではまったく終わりません。
私は道徳関係のレジ袋を2,3袋預かって帰宅しました。
他の先生方もそれぞれの担当の袋を預かって帰りました。
2 実感道徳の興り
「担任道徳」に大きな魅力を感じていた私は、ある日野口先生に提案しました。
「先生、この担任道徳というのを盛り上げていきませんか」
「うん、私はぜひそれをやろうと思うし、やらなければならないと思っている」
はっきりと記憶にないのですが、野口先生はきっとこうおっしゃったのです。
「では、担任道徳研究会という名前で始めましょう」
「いや、担任道徳という名前は、誤解されるかもしれないね。」
「と言われますと?」
「道徳の授業は担任がやることになっているから、あらためて担任道徳と言っても、意味が理解されないのではないかな」
「じゃあ、別の名前でやりますか」
「そうだね。何かいい名前があるといいのだが・・・」
研究会の発足はいいが、名称がふさわしくないということで、そのときはそのままとなりました。
それから何日か経って、野口先生の講座に、私はお供してついていったことがありました。
(これは郡山だったでしょうか)
行きの電車の中で、野口先生と隣同士で座りながら道徳の話題になりました。
「先生、担任道徳ですが、 名称はいかがしましょうか」
「う~ん。そうだねえ、何かいい名前がないかねえ・・・」
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・」
「実感道徳なんていうのは
いいよね」
「実感道徳ですか!」
「うん。担任の先生の実感に基づいた道徳の授業だね」
「先生、それ最高です。それにしましょうか」
「うん。まあ、慌てることはなくて、とりあえず実感道徳ということにして、後でかえてもいいね」
「分かりました。実感道徳研究会で始めます」
こうして「実感道徳研究会」が発足しました。